最終更新日 2025/10/06

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 第七章 神武天皇から開化天皇まで

大倭帶日子國押人命 坐葛城室之秋津嶋宮 治天下也 此天皇 娶姪忍鹿比賣命 生御子
大吉備諸進命 次大倭根子日子賦斗邇命 二柱【自賦下三字 以音】故大倭根子日子賦斗邇命者
治天下也 天皇御年 壹佰貳拾參歲 御陵在玉手岡上也

大倭根子日子賦斗邇命 坐黑田廬戸宮 治天下也 此天皇 娶十市縣主之祖大目之女 名細比賣命
生御子 大倭根子日子國玖琉命 一柱【玖琉二字以 音】又娶春日之千千速眞若比賣 生御子
千千速比賣命 一柱 又 娶意富夜麻登玖邇阿禮比賣命 生御子 夜麻登登母母曾毘賣命
次日子刺肩別命 次比古伊佐勢理毘古命 亦名大吉備津日子命 次倭飛羽矢若屋比賣 四柱
又娶其阿禮比賣命之弟蠅伊呂杼 生御子 日子寤間命 次若日子建吉備津日子 命 二柱
此天皇之御子等 幷八柱 男王五 女王三

故大倭根子日子國玖琉命者 治天下也 大吉備津日子命與若建吉備津日子命 二柱相副
而於針間氷河之前 居忌瓮而 針間爲道口 以言向和吉備國 也 故此大吉備津日子命者
吉備上道臣之祖也 次若日子建吉備津日子命者 吉備下道臣 笠臣祖 次日子寤間命者
針間牛鹿臣之祖也 次日子刺肩 別命者 高志之利波臣 豐國之國前臣 五百原君 角鹿海直之祖也
天皇御年 壹佰陸歲 御陵在片岡馬坂上也

大倭根子日子國玖琉命 坐輕之堺原宮 治天下也 此天皇 娶穗積臣等之祖
內色許男命【色許二字以音 下效此】妹・內色許賣命 生御子 大毘古命 次 少名日子建猪心命
次若倭根子日子大毘毘命 三柱 又娶內色許男命之女 伊賀迦色許賣命 生御子
比古布都押之信命【自比至都以音】又娶河內青玉 之女 名波邇夜須毘賣 生御子
建波邇夜須毘古命 一柱 此天皇之御子等 幷五柱 故若倭根子日子大毘毘命者 治天下也
其兄大毘古命之子 建 沼河別命者 阿倍臣等之祖 次比古伊那許士別命【自比至士六字以音】
此者膳臣之祖也 比古布都押之信命 娶尾張連等之祖意富那毘之妹
葛城之高千那毘賣【那毘二字以音】生子 味師內宿禰 此者山代內臣之祖也
又娶木國造之祖宇豆比古 之妹 山下影日賣 生子 建內宿禰
解読

大倭帶日子國押人命、葛城室之秋津嶋宮に坐し天下を治める也

此の天皇、姪忍鹿比賣命を娶り、生む御子、大吉備諸進命、
次大倭根子日子賦斗邇命の二柱【自賦下三字 以音】

故、大倭根子日子賦斗邇命者(は:短語)天下を治める也

天皇御年、壹佰貳拾參歲(123歳)、御陵玉手岡上に在る也


大倭根子日子賦斗邇命、黑田廬戸宮も坐し天下を治める也

此の天皇、十市縣主之祖大目之女 名細比賣命を娶り、生む御子、
大倭根子日子國玖琉命 一柱【玖琉二字以音】

又、春日之千千速眞若比賣を娶り、生む御子、千千速比賣命 一柱

又、意富夜麻登玖邇阿禮比賣命を娶り、生む御子、夜麻登登母母曾毘賣命、
次日子刺肩別命、次比古伊佐勢理毘古命、亦名大吉備津日子命、
次倭飛羽矢若屋比賣の四柱

又、其の阿禮比賣命之弟蠅伊呂杼を娶り、生む御子、日子寤間命、
次若日子建吉備津日子命の二柱

此の天皇之御子等は并せて八柱、男王五、女王三


故、大倭根子日子國玖琉命者(は:短語)天下を治める也

大吉備津日子命と與(ともに)若建吉備津日子命の二柱を相に副える

而(すなわち)、針間氷河之前に於いて、居忌瓮(いみかめ?)而(に)居る
針間爲道口の言うを以て吉備國に和に向かう也

故、此の大吉備津日子命者(は:短語)、吉備上道臣之祖也

次、若日子建吉備津日子命者(は:短語)、吉備下道臣、笠臣祖

次、日子寤間命者(は:短語)、針間牛鹿臣之祖也

次、日子刺肩別命者(は:短語)、高志之利波臣、豐國之國前臣、五百原君、角鹿海直之祖也

天皇御年、壹佰陸歲(106歳)、御陵片岡馬坂上に在る也


大倭根子日子國玖琉命、輕之堺原宮に坐し天下を治める也

此の天皇、穗積臣等之祖內色許男命【色許二字以音 下效此】妹・內色許賣命を娶り、
生む御子、大毘古命、次、少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命の三柱

又、內色許男命之女 伊賀迦色許賣命を娶り、生む御子、比古布都押之信命【自比至都以音】

又、河內青玉之女の名波邇夜須毘賣を娶り、生む御子、建波邇夜須毘古命 一柱

此の天皇之御子等、并せて五柱

故、若倭根子日子大毘毘命者(は:短語)天下を治める也

其の兄大毘古命之子、建沼河別命者(は:短語)、阿倍臣等之祖

次、比古伊那許士別命【自比至士六字以音】、此れ者(は:短語)膳臣之祖也

比古布都押之信命、
尾張連等之祖意富那毘之妹葛城之高千那毘賣【那毘二字以音】を娶り、
生む子、味師內宿禰、此れ者(は:短語)山代內臣之祖也

又、木國造之祖宇豆比古之妹山下影日賣を娶り、生む子、建內宿禰

解説

02

大毘古命


大倭根子日子賦斗邇命

「大倭根子日子賦斗邇命」の事を、後世の人間が「孝霊天皇」と呼んでいます。

「大倭根子日子賦斗邇命」には、「自賦下三字 以音」という注記があるので、
「賦斗邇」は「音読み」指定となります。

「賦」:呉音・漢音:フ

「斗」:呉音:ツ、漢音:トウ、慣用音:ト

「邇」:呉音:ニ、漢音:ジ

上記により、呉音「ふつに」、漢音「ふとうじ」となりそうです。

いろいろなサイトでは、「ふとに」と書いていますが、間違いです。

「大倭根子日子賦斗邇命」は古事記ですが、「新撰姓氏録」に、
「79 左京 皇別 吉備朝臣 朝臣 大日本根子彦太瓊天皇子稚武彦命之後也」
という表記があり、何世代かずれていますが、
近い内の一つが「大日本根子彦太瓊」の表記になりそうです。

たぶん、この表記も「「音読み」指定」なのを考えずに、
「太瓊(ふとに)」と付けたのでしょうが、こちらは、「訓読み」でないと読めません。

なので、「「音読み」指定」と「訓読み」では大きく意味が異なります。

ただ、「太」=「天子」を表すと言われているので、
この表記の人物は、「天子」を使うに値する人物だったのかも知れません。

ちなみに、この表記は「日本書紀」と「先代旧事本紀」でも使われている様です。

意富夜麻登玖邇阿禮比賣命

「大倭根子日子賦斗邇命」に嫁いだ一人として記載されていますが、
これと瓜二つの表記として、「〜兄名蠅伊呂泥、亦名意富夜麻登久邇阿禮比賣命〜」
の「意富夜麻登久邇阿禮比賣命」があります。

違うのは、「久」と「玖」となります。

考えられるのは、「意富夜麻登久邇阿禮比賣命」の子が「意富夜麻登玖邇阿禮比賣命」
という事です。

記載はありませんが、ここまで酷似しているので、可能性は大いにありそうです。

日子刺肩別命

「日子刺肩別命」は、
「意富夜麻登玖邇阿禮比賣命」を母に持つ第二子として生まれました。

神社を検索すると、「吉備津神社」で「日子刺方別命」が、
「天佐自能和氣神社」で「日子刺肩別尊」がある以外は、
「日子刺肩別命」を、そのまま利用していました。

弟蠅伊呂杼

「又娶其阿禮比賣命之弟蠅伊呂杼 生御子 日子寤間命
次若日子建吉備津日子命 二柱」の
「其阿禮比賣命之弟蠅伊呂杼」がおかしいと思っています。

「其の阿禮比賣命」と書いていますが、「意富夜麻登久邇阿禮比賣命」と
「意富夜麻登玖邇阿禮比賣命」は、ただの「阿禮比賣命」ではないので、
子もしくは親戚だとは思います。

ですが、その様な記載が無いので、良く分かりません。

また、「阿禮比賣命之弟蠅伊呂杼」は「阿禮比賣命之弟 蠅伊呂杼」と解釈すると、
男性と男性では子は生まれません。

この名は、「亦名意富夜麻登久邇阿禮比賣命、弟名蠅伊呂杼也」でも、
「弟の名」として記載されています。

しかし、先程も書いたように、これらは「阿禮比賣命」では無いので、
別人だと思われます。

ここで考えられるのが、この時期の天皇が「女性」であったという可能性です。

そして、生まれた子は、「蠅伊呂杼」が生んだのではなくて、
女性天皇が生んだと思われます。

この推測が当たっているのかは、どこにも情報が無いので分かりませんが、
娶った相手が「男性」であるのならば、
「女性天皇」が「男性」を娶ったとしか考えようがありません。

大毘古命

「穗積臣等之祖內色許男命妹・內色許賣命」を母に持つ第一子として生まれました。

神社を検索すると、ほとんどが「大彦命」でしたが、
古事記の「大毘古命」の子孫と思われる表記もありました。

「貴船神社 境内 鈴鹿社」と「小布勢神社」の「大比古命」がありました。

同じ表記では「布制神社(篠ノ井石川布制山)」、
「川俣神社(鈴鹿市中富田町)」などが「大毘古命」としています。

「大毘古命」の娶った女性は不明ですが、「建沼河別命」という子がいます。

この「建沼河別命」という表記は、
「爾神八井命、讓弟建沼河耳命」の「建沼河耳命」に酷似しています。

異なるのは、「耳」と「別」だけです。

これは、もしかすると、娶った女性、
つまり、「建沼河別命」の母親が「爾神八井命、讓弟建沼河耳命」の一族だったから、
「建沼河別命」という似た名になったのではないか?と思っています。

比古伊那許士別命

「其兄大毘古命之子 建沼河別命者 阿倍臣等之祖 次比古伊那許士別命」と
「比古伊那許士別命」がありますが、この表記は一度も登場していません。

この表記に似たのが、「又娶內色許男命之女 伊賀迦色許賣命 生御子
比古布都押之信命 自比至都以音」の「比古布都押之信命」になります。

この「比古布都押之信命」と「比古伊那許士別命」の関係は不明ですが、
配列が似ているので、親戚関係だとは思います。

この人物の子孫に、「膳臣」がいますが、
調べると「膳臣斑鳩」や「膳臣傾子」がいたようですが、
「若狭国造」の子孫と考えられているみたいで、別系統かも知れません。

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